【戦後80年の夏休みの自由研究】なぜ日本は戦時中にもワイン造りは推奨されたのか?

毎日暑い日が続いていていますが、皆様いかがお過ごしですか?

最近は中学生のお客様が増えていて、どうしたのかな?なんて思っていると何やら夏休みの自由研究のために勉強に来ているのだとか。

なので今回はいつもと趣向を変えて、「戦争とワイン」をテーマに取り上げさせて頂きますね!

戦争と世界のワインの関係性

ワインと戦争の関係は、歴史を振り返ると意外なほど深く結びついています。

大きく分けると、以下の4つの視点から語れます。

1. 戦争がワイン産地を変えた

  • ブドウ畑の破壊と再建
    戦場になった地域では畑が荒廃し、生産者は避難を余儀なくされました。第一次世界大戦のシャンパーニュ地方では、地下の「カーヴ(貯蔵庫)」が避難所としても使われ、砲撃の中で醸造を続けた記録があります。
  • 領土の変化と品種の移動
    例えばアルザス地方はフランスとドイツの間で何度も領有が変わり、そのたびに栽培品種や醸造スタイルが変化しました。

2. 軍事とワインの物流

  • 兵士の配給
    古代ローマ軍ではワインは兵士の士気維持と安全な飲料水の代わりとして配られました(当時の水は衛生面で危険)。
  • ナポレオン戦争や第一次世界大戦では、ワインは前線への補給物資の一部で、特にフランス軍兵士は日常的にワインを飲んでいました。
  • 海軍と酒
    イギリス海軍はラム酒が有名ですが、地中海方面ではワインも積み込まれ、腐敗防止や栄養補給の役割を果たしました。

3. 戦争がワインの世界的普及を促した

  • 戦争帰りの兵士が味を広めた
    第一次世界大戦後、フランスに駐留したアメリカ兵やイギリス兵が帰国後にワイン文化を持ち帰りました。
  • 第二次世界大戦後も同様で、特にカリフォルニアやオーストラリアのワイン文化発展に影響しました。

4. ワインが戦争の象徴や外交道具になった

  • 勝利の祝杯
    古代から「勝利=酒宴」で、ワインは祝賀の中心でした。
  • 外交贈答品
    高級ワインは停戦交渉や条約締結の場で贈られることが多く、ソフトパワーとして利用されました。

日本の戦争とワイン

日本の場合、「ワインと戦争」の歴史はヨーロッパと違って短いですが、明治時代から戦中・戦後にかけて独特の流れがあります。

1. 日露戦争〜第一次世界大戦

  • 軍の嗜好品としてのワイン
    明治期の軍隊では、酒といえば日本酒や焼酎が主流でしたが、上級将校や外交官は西洋式の宴会でワインを使いました。
  • ワイン産業の始まり
    山梨県の甲州ワインは明治政府の殖産興業政策で始まりましたが、戦時中は軍需優先でブドウ畑が縮小することもありました。

2. 太平洋戦争と統制経済

  • 原料不足で“代用ワイン”が登場
    戦時中は本物のブドウが不足し、干しブドウや輸入濃縮果汁、時には甘藷(さつまいも)や糖蜜から作った“ワイン風飲料”が出回りました。
  • 軍への供給
    ワインは将兵用として特別配給されることもありましたが、日本全体では贅沢品と見なされ、一般国民の入手は困難でした。

3. 占領期とワイン文化の変化

  • 進駐軍の影響
    戦後、GHQ(連合国軍)が日本に駐留したことで、カリフォルニアワインやポートワインが輸入され、ホテルやバーで提供されるようになりました。
  • 国産ワイン復活
    山梨や長野では、戦後の食料増産とともにブドウ栽培が再開され、1960年代には本格的なワイン生産が復興しました。

4. 象徴的な出来事

  • 満州国でのワイン生産
    満州(現在の中国東北部)では、日本の企業がワイン生産を試みました。これは軍と移民政策の一環で、ワインは一部将校や外交向けに利用されました。
  • ワイン=西洋文化の象徴
    戦前の日本でワインは「ハイカラ」な飲み物とされ、軍や政治の舞台では“西洋式の権威”を示す小道具にもなりました。

【ワインは兵器】と呼ばれた理由

「ワインが兵器」という表現には、実際に物理的な兵器として使われたケースと、軍事戦略や政治的圧力の手段として使われたケースがあります。

歴史を見ていくと、次のような意味合いが出てきます。

1. 物理的な兵器として使われた例

  • 毒入りワイン(暗殺・破壊工作)
    古代から中世にかけて、ワインは味や香りで毒を隠すのに便利でした。権力者暗殺やスパイ活動に利用された記録があり、古代ローマ、ルネサンス期のイタリア、戦国期のヨーロッパなどで事例があります。
  • 火薬や火攻めの運搬容器
    中世では、ワイン樽を改造して火薬を詰め、「樽爆弾」として城壁や船を破壊する兵器に使った記録があります。特に海戦では、ワイン樽の形状が爆薬運搬にちょうど良かったため、流用されました。

2. 戦略的な「兵器」としてのワイン

  • 士気高揚と戦闘力維持
    古代ローマ軍やナポレオン軍では、ワインは兵士にとって“戦うための燃料”のような存在でした。疲労や恐怖を和らげ、場合によっては「突撃前の一杯」で士気を高める。こうした精神面への効果は、軍事的にも利用価値がありました。
  • 敵国経済への打撃
    ナポレオン戦争や二次大戦中、敵国のワイン産業を破壊・略奪することで、その国の経済・文化的象徴を弱体化させる作戦が取られました。ナチス・ドイツはフランスの有名ワインを大量に押収し、フランス人の誇りを削ぐ心理戦として利用しています。

3. プロパガンダや外交兵器

  • ワイン=国家の顔
    高級ワインを贈呈したり、逆に輸出を止めたりして外交カードとして使うことがありました。経済封鎖の一部として「ワイン禁輸」を行うことも、事実上の政治的兵器になります。
  • 文化破壊の象徴
    ワイン文化の破壊は、その国のアイデンティティへの攻撃とみなされ、精神的な兵器としての意味を持ちました。

つまり、「ワインが兵器」というのは必ずしも爆弾や銃のように直接殺傷する道具だけを指すわけでは無いのです。

  • 暗殺道具
  • 爆薬容器
  • 士気高揚剤
  • 経済・文化攻撃の手段
    のすべてを含む広い概念なんです。

第二次世界大戦時のワイン

第二次世界大戦期において、日本では「ロッシェル塩(Rochelle salt)」が実は兵器の開発に重要な素材として活用されていた事実があります。その「ロッシェル塩」とはどのようなもので、どのように戦争と結びついていたのかをご紹介します。

日本海軍とロッシェル塩の「兵器化」

ロッシェル塩とは?

  • 化学名:酒石酸ナトリウムカリウム(Sodium Potassium Tartrate, KNaC₄H₄O₆·4H₂O) 。
  • 特徴:強い圧電効果を持ち、刺激によって電気信号と音波を相互に変換できる性質があるため、かつては音響機器などに使われていました 。
  • 由来:フランス西部の港町ラ・ロッシェル(La Rochelle)で発見されたことからこの名がついたとされています 。
  • 原料:ロッシェル塩はワイン醸造の際にできる副産物「粗酒石(酒樽にできる白い結晶)」を加工して作られます 。

ドイツから導入された探査技術のキー素材

  • 当時、ドイツではこのロッシェル塩を使った水中聴音機やレーダーが早期に開発され、潜水艦や魚雷に対応する兵器として高性能を発揮していました 。
  • 日本はドイツと連携し、この技術を取り入れて探査装備の強化を目指しました 。

原料不足への対策とワイン醸造の奨励

  • 日本国内ではロッシェル塩の製造が難しく、かつワイン醸造自体に制限があったため、原料確保が大きな課題でした 。
  • 主に山梨県のサドヤ(Sadoya)醸造場が、このロッシェル塩の精製拠点として唯一機能していました 。
  • 日本海軍は全国のワイナリーに対し、粗酒石を集めるよう働きかけを行い、さらにワイン醸造の統制緩和(製造免許の増加、砂糖の配給便宜など)も進めました 。
  • その結果、ロッシェル塩の軍需物資としての供給体制が整えられたのです。

戦後の動きとロッシェル塩のその後

  • 終戦(1945年)後、ロッシェル塩はもはや軍需品ではなくなり、大蔵省は増産策を速やかに中止しました 。
  • しかしその後も、ロッシェル塩は有機合成、中間体、触媒、銀鏡反応、さらには食品添加物としての用途で活用され続けました 。

ロッシェル塩と戦争

国税庁のホームページ「戦時中のワイン造りの奨励」https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1212/index.htm

「ロッシェル塩(酒石酸カリウムナトリウム)」と戦争、そして国勢局(国税庁)に関して、以下のような関係があります。

ロッシェル塩が軍事技術に使われた背景

— 昭和17年(1942年)、日本海軍は潜水艦や魚雷への対策強化のため、ドイツからロッシェル塩を活用した水中聴音機(パッシブソナー)などの技術を導入しました。ロッシェル塩の圧電効果(音波と電気信号の変換)が非常に重要だったのです 。

国税庁(当時:大蔵省酒税局)の役割

— 国税庁に相当する酒類行政を担う部門は、昭和18年以降、粗酒石(酒石酸の結晶)の増産を軍需物資として位置づけ、以下のような対策を実施しました :

  • ワイン製造の統制緩和:製造免許の拡大や砂糖の供給における優遇措置を実施。
  • ワイン生産量の急増:昭和19年度の果実酒課税量は約1,301万リットルから、翌昭和20年度には約3,420万リットルと、実に2.6倍まで急増しました 。
    — こうした政策こそ、「国勢局」(正しくは国税庁)によるワイン産業への介入が軍需の一環として行われた代表例です。

サドヤを中心とした体制整備

— 山梨県のサドヤ醸造場は粗酒石を集めてロッシェル塩を精製する唯一の拠点とされました。粗酒石は全国のワイン醸造場から集められ、サドヤで精製後、東芝などの企業が聴音機の量産に供給しました 。

まとめ

日本のワイン事情(1930年代〜戦後)推移

年代状況・政策生産・流通特記事項
1930年代(戦前期)国産ワイン醸造が本格化。山梨県を中心に民間ワイナリーが活動。少量生産で上級官僚や都市部向けに販売。サドヤなどの先駆ワイナリーが技術蓄積。フランス品種の導入開始。
1937年〜1940年(日中戦争期)軍需拡大に伴い、国内物資統制開始。砂糖・ブドウなど原料不足。一般向けワインは減少。代用ワインや粗酒石を材料とした実験的製造が増加。
1941年(太平洋戦争勃発)国税庁(酒税局)が軍需対応としてワイン生産奨励。ワイン醸造の許可緩和、砂糖供給の優遇。生産量急増。全国のワイナリーから粗酒石を収集。サドヤがロッシェル塩精製拠点に。
1942〜1944年ロッシェル塩(酒石酸ナトリウムカリウム)の軍需利用開始。精製されたロッシェル塩が水中聴音機(ソナー)や軍用装置に供給。サドヤに海軍技術研究室甲府分室設置。軍需生産が中心で民間流通は制限。
1945年(終戦)戦争末期には生産困難。原料不足・空襲被害。ワイン醸造はほぼ停止。粗酒石精製も停止。サドヤの施設も被害を受ける。戦時中の軍需体制は終了。
1946〜1950年代(戦後復興期)民間向けワイン製造再開。サドヤなど主要ワイナリーが復興。生産量は徐々に回復。「シャトーブリヤン1946」など高品質ワインが登場。戦中の技術や設備は民間に転用。

いかがでしたか?戦争とワインは一見何の関わりも無さそうですが、歴史的には大きな関わりがありましたね。

戦後80年を迎える今年は、自由研究のテーマに選ぶ方も多いでしょう。

この記事が参考になれば幸いです。

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